『ICO』と『ワンダと巨像』。
アクションや操作、ゲームシステムが特に斬新なわけではないのに、これらの作品でしか体験できないことがたくさん詰まっている。キャラクター、世界観、物語、それを包み込む空気のようなもの。奇跡のようなバランスを保つ作品が、2作続いたとき、それはもう上田文人さんというクリエイターの持ち味であり、丁寧な構築の結果なのだと気付きました。
3作目として発表された、『人喰いの大鷲トリコ』も、きっと素晴らしい体験をもたらしてくれるだろうと思っていました。2009年のタイトル発表から、ながい延期があったり、途中で発売プラットフォームがPS3からPS4に変更されたり。いろいろなゲーム外の出来事もありましたが、2016年12月6日、本当に発売されました。
パッケージを開けて、ディスクをプレイステーション4に入れ、ちょっとしたインストールの時間に早期生産版についてくるブルータス監修の小冊子を読む。上田さんに縁のあるアイテム群をなるほどと長めていると、画面上に『人喰いの大鷲トリコ』のアイコンが現れました。「発売を待っていた」という意識はどこかに置いてきたと思っていたのですが、アイコンを見た瞬間、ぐっときてしまいました。
そこから先は、ノンストップで、一睡もせずにクリアーしました。
ネタバレを伏せるために、非常に抽象的な語りになりますが、眠りたくならなかったのです。
古の空気を漂わせながらも鮮烈な世界。
目を細めてしまうような少年とトリコの関係。
言葉がなくても通じ合えるということ。
没入するという感覚を、久々に味わいました。
アクションアドベンチャーゲームである本作は、道中に配置されたギミックを解いていくことで、物語が進行していきます。トリコを誘導して、高い位置に登るための手助けをしてもらったり。道中の障害物を破壊してもらったり。
思いの外、トリコはプレイヤーの想像通りに動かなくて、もどかしい思いをしたこともあります。
ところどころ、カメラワークも極端な動きをします。
こうしたもどかしさは、ゲームレビュー的な用語で語ってしまうなら「操作性が悪い」ということなのですが、自分がこの作品をプレイしている間は、「なんだよトリコ」と、それがまるでこの世界の習性であるかのように思うのです。遊んでいる間は、このもどかしさも世界観のギミックなのではないかと感じていたのです。
操作性の悪さを意図してつけたのではと思うほど、とにかく楽しかった。
操作性の悪さを、味があっていいなんて思えるゲームは、そうそうありません。
本作は、小説でも、映画でもなく、ゲームです。
決して難しくはないけれど、プレイヤーに考え、操作によって何かを起こさせようとする設計。
演出やテキストに頼るわけではなく、プレイヤーが動かしてきた、動かそうとしてきた少年とトリコがいるから、物語の終盤で泣けてしまうのです。
多くの人にオススメできる敷居の低さと、染み入るように響く深みを併せ持った作品です。
一人でプレイするのもよし、友人や家族とプレイするのもよし。
体温すら感じるような少年とトリコに、瑞々しい世界に、是非触れてみてください、